Stockr、あれから1年


おさらい

以前、Stockrというアプリを使っている、という話を書いた。→こちら
日々の気づきをストックし、毎日過去の気づきを振り返るためのアプリである。
振り返る対象はランダムに降ってくるので、深化したい話とも限らない。
また、1エントリーは1,000字程度のため、熟考し文章を練り上げるような方法には、若干向かないかもしれない。
ともあれ、日々思ったこと、吐き出したい言葉の一時保管として使っている。
詳細は公式サイトをご参照 https://stockr.bldt.jp/

それから

そんなことを書いたのが、2021年4月のこと。
あれから1年経ったが、相変わらず使っている。
相変わらず、という言い方はちょっと語弊があるが、必須というわけでもなく、かといって開かずに放ってある訳でもなく、淡々と使用している。
前回書いた時には、 気づきだけではなく、言いたくても言えないこと、言うと角が立つことの避難先として使う、みたいなことを書いた。
そんなことを書いてからも様々な事があって、いろんなエントリーを書いた。
むしろ、気づきの記録よりも、愚痴の吐き捨て場所だったかもしれない。
だが、自分自身では愚痴だとは思っていなかった部分も否めない。
重要な気づきのつもりで書いたようにも見受けられる。
胸中の蟠りを言葉にする、記録を残す、それを改めて振り返る、そんなサイクルを作り上げていた。

さらに

人間は忘れる動物であるというのは、どこで聞いたのか誰の言葉だったのか、既に忘れているが、忘れることは脳の重要な機能なのだと思う。
怒り、悲しみ、不安、絶望、といった負の情動は、何かと交換可能なものではないだろう。
空腹が食事をすれば満たされるようには、悲しみを何かで埋め合わせることなどできないし、それを忘れていくことでしか乗り越えられはしないのではないかと思う。
怒りの言葉は相手にぶつけたら争いが起こるだろうが、それで解決するかどうかは別次元の問題で、その怒りを忘れる、無かったことにすることでしか、解決できないのではないか。
だが、その時、残された言葉は意図的に消さない限り残り続けてしまう。
負の情動から発した言葉を、何度も振り返ることで何が起きるのかは、ここでは語らない。
また、振り返りのサイクルが問題なのではないことも明白である。
ナイフは便利な道具であるが、使い方では凶器にもなるということだ。

それでは

この文章は何のために書いているのかというと、ある振り返りのために書いているのだが、そのことそのものを書くことはない。
また、物事はただ一直線に原因と結果があるのではなく、ぐねぐねと曲がりながら、上がったり下がったりして、いつかどこかに辿り着いてしまう。
アンドレ・ブルトン風に言うなら、書くことも書かないことも想像の中の解決である、ということだ。
だから、これからもStockrを使い続けるし、同じ所は巡らないという事は明白なのである。
 

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