自分の声

自分の声が嫌いだ。
録音した自分の声は、ガサガサとして、聴き取りにくくて、聞いていられない。
頭蓋骨の中で響いている自分の声ならどうかというと、それも嫌いだ。
声の良い人が羨ましい。
ラジオが好きな理由の一つに、それもあるかもしれないと思い当たった。
発声の仕方なのだろうか。
生まれもっての質なのだろうか。
だが、声を良くしようと努力したことはない。
あるがまま、なすがままに任せている。
だったら、不平不満を言うべきではないだろう。
そこは声高に主張しているつもりではないので、ご容赦願いたい。
自分の声が嫌いという人は、案外、多いのではないかと思っている。
いや、言い方が違う。
自分の声が好きだという人は、案外少ないのではないかと思っている。
ふだん意識していないというのが事実としてあって、好きでも嫌いでない、という方が大多数だろうと思っている。
だいたい、録音された自分の声を聞く機会なんて、そうそうない。
録音までしなくても、カラオケでマイクを通して聞こえる自分の声なら聞いたことがあるだろう。
それならどうだろうか。
自分の顔や容姿は、写真で客観視できる。
体調や臓器は、健康診断や人間ドックという方法で、数値として客観視できる。
ココロなら、正しいかどうかは別の問題として、性格診断やストレスチェックやら、有象無象の情報を取捨選択してある程度見えそうだ。
だが、声を客観視する機会は案外少ないのではないだろうか。
見えそうで見えない自分の姿でありながら、他の人にとっては第一印象のひとつである。
そう書いてきて、学生の頃にバイトの面接に行って、「君、体調悪そうだけど大丈夫?」と聞かれたことを思い出した。
もちろん、体調が悪かったらバイトの面接なんか行かない。
早起きもして、絶好調だったのである。
声だけの問題ではないけれど、自分から見える自分と、周りから見えている自分は、全く別のものだと思ったほうが良い。
その典型のようなものが、声ではないかと思っている。
だけど、自分の声が嫌いだ。
声の良い人が羨ましい。

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