透明人間

透明人間はどこまでが透明なのだろうか。
ということを、子供の頃考えた。
そして未だに考えている。
肉体が透明なのだとすると、全裸で無い限りは服だけが歩くことになる。
では、肉体に触れるものが透明なのだとすると、重ね着は出来ない。
では肉体の周囲1cmぐらいが透明になるのだとすると、手に持ったものは一部欠けて見えることになる。
透明人間の体内にあるものは透明なのだと考える。
そうすると、飲食の後、とても見たくない光景が展開されることだろう。
だが、どこまで分解されたら見えなくなるのか。
そして排泄物が出来ていく様子が見える。
昔、糸井重里が言っていたと思うが、人間は竹輪なのだ。
人間の内側には外側が折り込まれている。
それは一見、身体の中のように思ってしまうが、皮膚や粘膜の内側ではないので、厳密な内側ではない。
だから、竹輪を透明にしてしまったら、中に刺した胡瓜が丸見えになるということだ。
ぐるぐる巻きの包帯を剥がしていくと、何も無い空洞が現れる透明人間のイメージは、論理的には難しそうだ。

コメント

人気の投稿